学生時代は何してたの”の記事


大学時代は

大学時代


今からさかのぼること数年前。大学時代。
都内の某4年制私立大学の社会科学部という文系の学部に身を置いていた。

社会科学ってなにやるのという方のために説明をしておくと
人文科学と自然科学以外のことをやるのである。
社会の法則、つーかルール的なところを幅広く学んでいきましょうみたいなことをやるのである。
具体的に言うと法律、経済学、経営学、商学、社会学系の多岐にわたる授業があった気がする。
KYの専攻は何かというと一応「国際経済学ゼミ」というのに所属していたのでそのあたりかと思われる。
しかし偉そうに語れることは何もなく、
基本的にレポートは竹中平蔵の「経済ってそういうことだったのか会議」という本を引用。
IS曲線ひとつ読めない。

まあ基本的に出席をとる授業がないため授業に出る必要が無く、
学部のルール上授業が午後からしかなく、卒論もなし。
そんな環境にいるとどうなるかというと、大体の若者は学校には行かなくなるわけである。
で、何をしていただのかというと、特に何もしていなかったわけである。


まあ敢えて言うなら以前にも書いたかもしれないがテレアポか。
1日数100件の電話を全国各地にかけまくり、
電話口で興味喚起~商品説明~成約まで結び付けることが求められるのだが
これが自分は意外と楽しかったのを覚えている。
商品のバックにあった企業が超一流ナショナルブランドだったためか
思いのほか話を聞いてくれるお客様は多く、
数字にダイレクトに結果が反映するというのにやりがいを感じたものだった。

サークルには所属していなかったため、青春団体行動のなんたるかを学ぶことはできなかった。
ただ夏季休暇は旅行、春季休暇はスノーボードと、まあお金は掛かるのだが
結構充実したアクティビティができていたんじゃないかと感じている。

しかし自分が就職活動しているときにも感じたことなのだが、
「俺の大学時代と言えばこれじゃ」と胸を張って言えることはなかったように思う。
結構こういうのって悩むんですよね。
楽しかったには楽しかったのだが。
今思うともっといろんな遊びをしておくべきだったーと思うのだが、
多分もう一度大学生活を送れたとしても同じような生活を送るには違いない。


まあ結局言いたいのは、自分の思うように生きていいんじゃないでしょうか、ということです。




もじもえ

学生時代何をしてたのか、、、

学校の勉強、課題ですね、

他の事は記憶にないくらい。

よく学んで、

よく考えていたと思います。


大学は

勉強したいという目的がはっきりしてたので

友達とかバイトとかサークルなどもろもろ

全然興味が有りませんでした。



実際、何を学んでいたか、というと

美大のデザイン科のなかでも、

グラフィックよりも企画や考え方に

重点を置いているところで

色んなものを広く浅くやっていました。



で、行き着く所は文字でした。

2年目のタイポの授業で文字が好きになり、

卒制も文字についての研究にし、一年間、文字に萌えました。



学生の時は手を動かすより、

頭を使う方が多かったように思えます。

社会人になった今、

それを取り戻すべく奮闘しております。



いじょう


長いものに巻かれてみた

祭りとかやってました。


私の大学生活は、祭りの連続。

実行委員とか企画側とかやってました。



■体育祭
大学で、春に行われる新入生が仕切る催し

■大学祭
その名の通り

■定禅寺ストリートジャズフェスティバル
http://www.j-streetjazz.com/
仙台の3大祭りのひとつ
実行委員

■青葉祭り
http://www.aoba-matsuri.com/
仙台3大祭りのひとつ
山鉾引いただけですが

■Sendai Entertainment Circus
Zepp Sendaiで行われた、大忘年会
カフェと企画

■収穫祭
http://www.monochromecircus.com/
「モノクロームサーカス」というコンテンポラリーダンス集団の
収穫祭を仙台でやりました
その制作関連と進行

■ECO LIVE SENDAI vol.2
http://www.khb-tv.co.jp/ecolive/
でカフェやりました


そのほかにもサークルで、

「子どもたちのアートスクール」とか

フリぺを作ったり、

なんかあると関わり巻き込まれ生きてきました。



+ + +


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▲Sendai Entertainment Circus(庄司さんがつくったロゴ)

何してた

こんにちわ。
水曜ビンボです。
今週のテーマは「学生時代は何してたの」。


以前も書きましたが、まずビンボの母校の紹介。
ビンボは東京工芸大学芸術学部デザイン学科で広告の勉強をしていました。
ただ時間を最も費やしたことと言えば、もっぱら趣味の映像制作。

映像制作なんてそれらしいことを言っていますが、内容はひどいもんです。
夜な夜な仲間と集まりパロディや怪しいハダカ踊りなどを考えては
撮影をしてみんなで観賞会という、かなり自己満足なレベル。

はまったきっかけは、
友達の誰かが誕生日で、何かプレゼント以外で
お祝いの仕方がないかと考えたこと。


その時得た知識は正直今は使い物にならないです。
むしろ本業のデザインをさぼっていたつけが、今ものすごくふりかかっています。

就活中も、他の人に比べて作品数が少なく、何社も落ちました。
そんな最中、スタイルメントの面接時に
ひょんなことから自分のその映像作品を、野村社長に見せることになりました。



なんと合格。


何が良かったのか未だにわかりませんが、
こんなこともあるんですね。



危険ですので
就活中の方は絶対にマネしないでくださいね。


マネしないか。



▼僕らが撮った「ターミネーター4」の衣装
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26億円

自分が就職活動をしていた時は、「この会社はどんな人が集まっているんだ」ということがヒジョーに気になりました。
会社案内パンフレットに載っていた、社員さんの趣味とか学生時代の話とかは、食い入るように読んだものです。
今回はそれをやります。
テーマは「学生時代は何してたの」です。

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マンデーダフ屋は親のスネをかじりまくりながら、大学に4年、大学院に2年おりました。
親の前では建築学科でバリバリ勉学に励んだことになっているので、たまに親父に会えば「公共工事のダンピング問題がどうの」とか「コンストラクションマネジメントがこうの」とかいう、なけなしの知識で必死にその場を取り繕っていますが、6年間の実態はというと、95%はバンドで語れるくらいのいささか単純なものです。

ちなみになんで建築を志望したのかというと、「理系と文系の中間かな」と思ったからです。
この決断も相当悩みましたが、自分の過去を振り返ると、どうやらたいていは真ん中を選んでいるようです。なんとも器用貧乏な自分らしい選択ですね。

話がそれた。
要するに、学生時代は音楽一辺倒でした。
楽器代、CD代、スタジオ代、移動代、ライブ代、飲み会費...音楽にかけた金は軽く100万は超える。たぶん200万も超えとる。

あ、誤解のないように言っておくと、金髪でロン毛をブンブン振りまわしてギャーギャー叫んでいる、といった類のバンドではありません。いや、自分も若かったころはちょっとはそのケがあったけど...
じゃなくて、ファンクとかジャズとかフュージョンとか、そういう小粋でオッシャーレな音楽をやっておったわけです。小粋でオッシャーレな、ね。

で、ちょうど20歳のときにジャズとかいうその昔アメリカから来たコムズカシイ音楽に手を出してしまったがために、一時期ちょっとコムズカシイ人間になってしまいました(これでも大分ましになった方です)。
バンドメンバーと「ライブとは...」「ジャズとは...」みたいな気持ち悪い崇高な話題で夜を徹して語り合ったものです。

幸い、自分の周りにいた京大生はまぁ例外なくどうしようもないネクラで手よりも先に頭が動く、といった類の人種でしたので、そういった話題の相手には事欠きませんでした。
今振り返ると当時の自分が何に辿り着きたかったのかさっぱり分かりませんが、「考える」癖が身に付いたのはいいことだと思います。

まぁ、中高と水泳という個人競技をぬる~くやってきた自分にとっては、初めて団体競技というものに出会い、それなりに発見がありました。
中でもビッグバンド(ジャズのオーケストラみたいなもの)に入団して、いきなりバンドマスターとやらをやった1年は苦難だらけで鬱にもなってみたりしたもんですが、今思えば一番思い出に残っている経験です。

今でも別に「バリバリディレクション!」みたいなディレクターではありませんが、あの16人だか17人だかを何とかしてまとめた(まとめようとした)1年は、ディレクションの予行演習みたいなものだったに違いありません。

まぁ音楽やって損したことも腐るほどあるやろうけども
 ・ベース弾くのが好きすぎて、一人でいる時間が急激に増えた
 ・誰も「どこどこのエフェクターが」とか言う話題について来てくれない
やってよかったと思ってます。一生やるでしょう。
社会人生活にどれほど活かされているかは、知りません。



▼学生最後のライブの後。一番奥にある茶色い楽器弾いてました。@京都Blue Note

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で、サークルのチラシを作ったり、バンドが出したCD用のジャケットとか、ホームページとかを作っていたという趣味が高じて、今こういう会社にいるのだと思っています。

かつては本業だった音楽も、まだまだやってます。
 
はっきり言って、他に比べればプライベートの時間はかなり取りにくい業界です。
代わりに吐いて捨てるほど給料がもらえるかといえば、まぁそうでもない。
でも「趣味をやってる」と言えるほどの時間は人生にどうやらあるようです。



何十回と人前で演奏しておきながら、極度のアガリ症はいまだに治っていません。
精進あるのみ。