最近(月曜更新の)ダフ屋に、あだち充の「ラフ」を借りて以来、
キュンキュンしていた高校生の頃を思い出す。青春時代。
今週は「高校時代を赤裸々に語る」というテーマである。
自分は千葉県・外房の田舎の県立高校に通っていた。
大まかに高校時代を4章くらいに分けると、
「スマブラ」→「バンド」→「彼女」→「受験」という感じである。
(だいぶベタなハイスクールライフを想像してしまう)
千葉の九十九里の辺りというのは結構田舎で、学校が終わって遊ぼうと言ってもやることが無い。
自分は部活にも所属していなかったので、毎日時間を持て余していた。
なので、とりあえず誰か友人の家に行ってなんかする、というのが定石。
たまにカラオケとかボーリングに行ったり。よくあるパターンである。
誰かの家に行って大体やるのがNINTENDO64(まだあるのか?)の「大乱闘!スマッシュブラザーズ」。飽きたら麻雀やUNOをやる。これを日々延々と繰り返す。
んで、こんなんではまずいかなと思って何か打ち込めるものを見つけようと思ってバンドを始めることに(ベタ)。
周りにやたらギタリストがいたので、「しゃあねえベースでもやっか」という軽いノリで(ありきたり)ベースという楽器をチョイス。
基本的にコピーバンドだったのだけれど、楽しかったなあ。
なかなかイケイケな感じだったと我ながら思う。
(が、卒業とともに飽きてやめる。)
一方で、高校時代長い間付き合っていた彼女がいた。今考えるとあれが初恋だったのかなあなんて恥ずかしながら思うのだが、世間で言われるとおりやっぱり初恋は実らないもので、卒業と共に相手が留学し、泣く泣く別れることに。これもまたよくあるパターン。
なお受験の話は以前話した通りである。
ううむ。こう書いてみるとなかなかありきたりな人生である。
しかし自分の中ではめちゃくちゃ楽しい高校生活を送れていたと今となっては思う。
自分は、そのとき何でもないことでも、月日が経って思い出すと「嗚呼楽しかったなあ」と感じることが多々ある(みんなそうなのだろうか)。人生ってそんなんでいいんじゃないでしょうか。
そういうのを積み重ねて後で振り返って笑えればいいんじゃないでしょうか。
県立農業短期大学の跡地に建てられた私の高校は
良く肥えたる土壌に恵まれ
雑草がすくすくとよく育つ学校でありました。
皆健やかに、逞しく勉強や部活動に精を出すなか
笑いの絶えない日常を送っていたことは確かなようです。
「うぉちゅてぃまへーっぷ
あーのにのねーぷ
そーちゅなわごなでしぃ なろうぇー
わーなわなくぅー
どーんちゅびそくー
せーんぐなじゅ らぶわびがっとぅどぅー
おーーーどぉーなー
(ベリトゥギャザガゥ)
じょーーーせーんまーい
(フォーエバウェナメスゼ~~ィ)
テテレレ!」
と、
「取っ手のとれ~る~ ティファール!」
を
「取っ手のとれ~た~ ティファール!」
と言い換えて歌う。
多分、私の高校生活は
この2つに集約されます。
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▲土 (google 画像検索)
こんにちは。水曜ビンボです。
今日のテーマは「高校生のころ」。
以前
「受験のはなし」で書いたとおり勉強が本当嫌いでした。
そんなわけで授業中はたいてい落書きです。
落書きが増えていくと、
それがいつの間にか連載となり大学ノート8冊分くらいの漫画が完成しました。
高校時代の周りの友達がキャラクターになっていて、
様々な高校の頭や、暴走族、ギャング、を倒してっぺん目指すという
漫画「クローズ」に影響受けまくりの内容です。
ひどいです。
周りの友達にはわりと評判でしたが、いつしか連載を迫られるようになり、
授業中だけでは追い付かず、家でもせかせかと描いていました。
それで成長したことと言えば、リーゼントの描き方がうまくなったことぐらい。
勉強しろって感じです。
実は漫画は最終話を迎えておらず、話は続いています。
暇なときにでもまた描きたいと思ったりします。
暇な時があれば...
タピヨです。
ステレオグラムが好きすぎて、フェンスのようなパターンを見ると無意識にステレオ視してしまう。ただボケッとして目の焦点が合っていない説。
小学生でNECのPC98をいじり始めて、中学生でWebに興味を持ちJavaScriptとHTMLにのめり込み、Flashに感動して作品を作りまくっていた高校時代。
とにかく作ること自体が楽しいという無敵のモチベーションを発揮して、
ずーーーっと何か作っていた気がする。
むしろ他に何してたっけ。
テスト前だろうが何だろうがFlash作って徹夜とか平気でやっていた。
今となっては成績を保っていたのが不思議だ。
いい大人になった今でも、寝ても覚めても、公私問わず、Flashを始めとしたインタラクティブを作ってる。10歳くらいから、そういうものに対する興味は一度も失ったことが無いのは幸せなことだ。
1か月に一回は息抜きテーマだよ、というルールがにわかに決まってしまった。
先月は学生の思い出シリーズその①「受験のはなし」だったが、
今回は学生の思い出シリーズその②「高校生のころ」です。
よくもまあ見つけたなというくらいの何のかわいげもないろくでなしばかりが集まった我々08年度新卒だが、そんな連中にもまだかろうじて高校生と呼べるような時期があったわけで、そのころの記憶でもほじくってみようというテーマです。
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マンデーダフ屋は中高一貫校に通っていたため、高校受験をしなかった。
中学から引き続いて水泳部に所属。
やる気があるのかないのか分からない程度に部活にセイを出していた。
自分はひとつのものを特に極めるというよりは手広くやるタイプなので、バッタ(業界用語でバタフライ)、バック(同背泳ぎ)、ブレスト(同平泳ぎ)、フリー(同クロール)のどれもそこそこ上達した。
で、自然とスタイルワン(得意種目)は個人メドレーとなった。
地元である高知県は競技人口(というかそもそも人口)が少ないために競争が激しくなく、しかも個人メドレーなんてニッチな競技を選んでしまったがために、四国大会まで出場してしまった。
しかし大した努力はしていない。
余談だが特に高知県の背泳ぎのニッチ度合いはすさまじく、200メートル背泳ぎなんて県大会でも出場者2人とかなので、強制的に四国大会に出れてしまう有り様だった。
(上位6位までが四国大会に出場できる)
スラムダンクのような情熱などは微塵もなく、だらだらと続けていた水泳部だったが、
高1の時に顧問といざこざがあった時にやめてしまった。
それまで自宅にいる時間のほとんどをゲームに費やしていた自分が次に見つけたのはベースという楽器だった。
ほとんどのベーシストが「もうギターとドラムは他にいたから自分はベースをやった」みたいな経験を語るのに対し、自分はもともとギタリストだったのにわざわざ志願してベースをやり始めたという、珍しいかもしれない経歴を持っている。
当時から、フロントに立つよりも縁の下の力持ち的なポジションに憧れていたのかもしれない。
年々その志向性は高まっている。
今思いだすと恥ずかしい曲ばっかりやっていたものである。
あの頃はいわゆるバンドマンだった。
もう恥ずかしくてどうしようもない。
どこに着地するのだこのエントリーは。
あとは、自動販売機の中からペットボトルを盗みだせる技にハマってジュースを飲みまくっていたこととか、よく海に行って焚き火して朝まで過ごしたこととか、高1の最初の試験で学年4位とかいう成績とってから3年間全く勉強しなくなったこととか、1年半片思いを続けた女の子と付き合えたとか、そんなところです。