ダフ屋 職種:ディレクター

担当曜日:月曜日

土佐の荒波が生んだスーパースター。 最近は楽器関連に私財を投入することに余念がない。


31日間

制作会社で日々忙しく働くスタッフにも、クリスマスは等しく訪れます。
今年のうちの会社は、25日が仕事納めという何ともすごいタイミングですが、皆さんはどう過ごすつもりなのでしょうか。
さて意気込みを語って下さい。

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とは言いつつも、マンデーダフ屋は他人に比べ、こういったイベントにはあまり敏感ではありません。
昔はそうでもなかったんですが、さすがに27歳にもなると、もう少し大局的に人生を見はじめるわけです。誕生日やクリスマスごときで私のハートは動かされません。
しかも自分には彼女がおりませんので、新宿がイルミネーションで飾られようが、クリスマス広告が目に入ってこようが、気持ちが昂るわけがない。まさに不動心の極みです。是非見習って頂きたい。


しかし11月も後半になると、金曜担当のKYがやたらそわそわしだしてきたので、
「自分もなんかせなあかんのかな」という気になってきています。

ということで、今からでも何かしら動いてみようかと思っています。
もう手遅れですかね。

それでもどうもこうもならんようであれば、
 ・会社の独り身族で集まってパーティー的なことをするか、
 ・同居人としっぽり過ごすか、
 ・家で三国無双4をやる
のうちのどれかを選択します。



......このままでは内容が無さ過ぎるので、一応、20歳になって以降のクリスマスの例を暴露します。

2002年(20さい)
サークルの独り身族で集まってパーティをする。サンタの格好して配達してくれたピザ屋を見て大はしゃぎする我々。そして写真まで撮る始末。後でピザ屋でバイトしている先輩に聞いたら、ああいうの相当ムカつくらしい。

2003年(21さい)
サークルの独り身族で集まってパーティをする。主催者(♀)の作ったケーキがめちゃくちゃまずかったのが一番の思い出。しかも鶏を焼いているときにワインかけすぎて天井が燃えるという演出付き。あとは三国無双2してた。

2004年(22さい)
当時の彼女と、城崎温泉に行ってカニを食べる。城崎名物である7つの温泉が、実は全部同じ源泉だと初日に旅館の女将さんに聞かされ、テンションが最低レベルに下がる。しかもカニもうまくなかった。たしかめちゃくちゃ喧嘩した。

2005年(23さい)
当時の彼女と、本州最南端の岬で朝日を拝む(車で)。どうやら元旦とごっちゃになっていた模様。車の中でチキンの丸焼きを食べる。たしかめちゃくちゃ喧嘩した。

2006年(24さい)
当時の彼女と、富山の氷見という町に刺身を食いに行く(車で)。この旅で「回転寿司は直接注文した方がうまい」という技を習得する。たしかめちゃくちゃ喧嘩した。

2007年(25さい)
まったく思い出せない

2008年(26さい)
まったく思い出せない


上の例を見る限り、自分にとってクリスマスとは、彼女と旅に出て喧嘩して帰ってくるものであるらしいです。

しかし幸か不幸か、2009年(27さい)は喧嘩する相手がどこにもおりません。
これからどうなるのかこうご期待です。
別にこの場で報告なんぞしません。

それでは学生の皆さん、よいクリスマスを。





30テラバイト

最近の冷気が高知育ちの敏感な肌にはつらいがです。

広告業界の受発注関係は、基本的には
 クライアント → 広告代理店 → 制作会社
という流れになっており、スタイルメントは上記の制作会社に当たります。

また最近は直案件
 クライアント → 制作会社
の割合も増えてきているみたいですね。

広告代理店はお客さんのイベントに立ち会ったり、芸能人の撮影に顔を出したり、試供品がもらえたりという旨みがあるらしいのですが、さて制作会社の(オプション的な)旨みってなんじゃ。
ということで今週のテーマは「制作会社の特権とは」です。
これはなかなか個人差があるような気がしますぞ。

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ディレクターといってもマンデーダフ屋は、自分の手を動かしてものを作るのも大好きです。
その辺りは親父が建築設計やっとって、弟がゲームのプログラマーやっとるのですが、血のせいかもしれません。

で、自分でもその辺りは良くわかっておって、就職活動やる前から現場、というか制作会社に入ろうと思っておりました。
どういう道を通ろうが、最終的には自分の手が持つ技術(デザインだったり、マークアップだったり、フラッシュだったり、はたまた作曲だったり)で食って行きたいと思っているので、制作者と一番近い場所で仕事をしたいというのが夢だったからです。

代理店だと、どうしても技術的な部分からは遠ざかってしまうのだと思います。
(もちろん部署にもよるでしょうが)


入ってみての感想ですが、案の定でした。
マークアップの流行やら、Flashに関する知識やら、サーバー周りとかSEO対策の知識が求められる立場にいて、そこらへんの知識がガンガン入ってきます。

特に、今まで完全独学でやっていたデザイン周りの知識が入ってくるのがうれしいです。
去年やったAwakeでは、生まれて初めて印刷所さんとのやり取りもあって、
死ぬまでに自費出版で画集を出したいと思っている自分にとってはいい経験になりました。
(今まではイラレで書いて自宅のプリンタで出力する、みたいなレベルでした。)


知識といっても、「実現するにはどう構築したらいいか」レベルの細かい知識(スクリプトやコード)はディレクターには入ってきませんが、そこの開発は休日のお楽しみということで...仕事病ですかね。

とりあえずようやくパソコン買ったので、FlashやMTやPHPやHTML5やら、手を出していくつもりです。


画像-0400.jpg















▲先週自宅に届いた23インチワイドディスプレイ。
なんなんだ左右の不必要なスペースは


しかし先輩や同期から借りたゲームが5本くらいあるし、三国無双もやらないといけないし、来週またRPG買うつもりです。
ベースも弾きたいし一人レコーディングもしたいしバンドもしたいし、絵も描きたいので、時間が足りません。


かなりのインドア派ですな。
誘われればアウトドアもオーケーです。







29曲目

スタイルメントはデザイン制作会社です。
たぶん、日本の企業平均に比べて、休日は少ないと思います。
それでもがんばれるのか?もっと欲しいのか?あんまり考えてないのか?
制作会社の休日について、思うところを書いてしまいましょう。

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はじめにマンデーダフ屋の出勤状況はどうかと言うと、
基本的に土日の両方休めることはまずありません。
1ヵ月で休みが1日だった...という月も過去にはありました。
(かなり稀有な例です。)

これみた学生さんはぎょっとするかもしれません。
自分が学生だった頃なら確実にぎょっとしてます。

ですが、結論から言うと、自分はあまり気にしていません。


●理由①

自分は25歳で社会人になりました。
4年制の大学を経て社会人になった人に比べると、すでに3歳年老いています。実は先輩よりも年上です。
あと3年もしないうちに30代に突入しちゃいます。

将来を考えた時に、これほど恐ろしいことはありません。
今の会社ではまだ2年目ということになっていますが、社会から見れば立派な27歳です。
なのに自分一人では見積ひとつオッケーだせないヒヨッコに甘んじています。

学生時代は、まだ遊びたい一心で院に行ってしまいましたが、
ま、まさかこんな落とし穴があるとは!!!

ということで、マンデーダフ屋には人生レベルの焦りがあります。

早く仕事をガンガンこなして、イチニンマエになりたくてしょうがないです。


●理由②

学生時代から趣味でweb designing誌を購読したり、SEO関係の本とかを読んでいた自分にとっては、ほぼ趣味の延長で仕事をさせてもらってるようなもんです。
基本的に、仕事が全然苦じゃないですね。

むしろ新しい知識がガンガン入ってくるから楽しいです。


●理由③

なんでか分からんけど、
「若いうちの苦労は買ってでもしろ」
というのを信条にしています。
なんだか立派な30代になれそうだからです。



...なもんで、友達と比べても明らかにプライベートを犠牲にした生活を送っていますが、良くも悪くもプライベートと仕事の区別が曖昧な自分にとっては、あまり仕事だけに時間を取られている感がないですね。
社員みんながクラスメイトみたい、というのも大きいと思います。

上を見ればキリがないし、
(ゼネコン行った友達は深夜帰宅~5時起きという生活をずっと続けている)
(ゲーム会社は開発入ったら1年以上休みないらしい)
(たぶん大手企業の社長さんは凄いスケジュールをこなしている)
まぁ自分の今の生活にかなり満足しているので、あんまり気にしてないんでしょうね。

もちろんたまに休みが欲しい時がありますが、
それは自分がもっと効率よく仕事するとか、惰性で朝まで起きるのをやめるとか、
そういうところを改善すればいいだけの話かと思っています。

いじょ。






28万画素

今週をもちまして、当ブログの火曜日担当であるタピヨがスタイルメントを退社します。
より高いハードルを目指して勇退する彼に向けて、今週は同期からタピヨに向けてあることないことを書きまくる週です。

テーマ「さらばタピヨ」。

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タピヨとの一番の思い出は、
入社前に「来季新人と社員が喋る会」みたいな催しがあって、その帰りの新幹線でずっと喋っとったことです。
東京-京都間の2時間半くらい、まじでずっと喋っとったと思う。

彼は見ての通りFlashバカなのですが、
自分も学生時代にコーディングやらFlashの触りみたいなことをやっておったので、
彼と技術的な話をするのがとても好きでした。
基本的に自分は全部教えてもらう立場でしたが...

で、その時はお互いスーツだったので気付かなかったのですが、
入社後の彼は
 ド黄色のシャツを着てくる
 メガネを逆にかけている
 実は縮毛矯正だった

などとファッション面でも奇才ぶりを発揮したのですが、
それも彼の仕事の神がかりぶりを浸透させる助けになったように思います。
「こいつ、なんかすごい...」と息をのんだことは数知れずでした。

彼とはいつか一緒に、どでかいFlash案件を一緒に企画するという夢があったのですが、
それはまた別のステージにお預け、という形になりましたね。残念です。



自分が彼から学んだことといえば、
クリエイターとして、自分の作品を世に問うその姿勢です。
それは入社直後時点で、すでに社内でもピカイチに光っていたと思います。

彼は「仕事疲れた...」と言い残して家に帰ってもFlashを触るほどFlashバカ情熱的ですが、
作ったものをどんどん発表して社会とコミュニケーションをとっていくところに、自分は特に感化されました。
PC買ったらFlashを再開しようと誓ったのは、彼によるところが大きいです。
まだPC買ってないけど...



もし音楽が必要になったら、声かけてちょ。5年後くらいに。



新天地でも、リラックマのTシャツは忘れずにな!!!!
また飲める日を楽しみにしています。






27人切り

このブログの右の方にある「メンバー」のところを見てもらえればわかるが、
自分が担当している月曜日だけ投稿数がわりと少ない。
どうやら月曜日は祝日になることが多いようです。
実はさ来週も月曜日お休みです。ぷくく。

スタイルメントは主にweb / 紙のデザインをする会社です。
広告業界ということになります。たぶん。
人生にもしもはありませんが、「もしこの世にそんな職業が無かったら、自分はハテ何をやっていたのか」などと空想するのは、案外楽しいことです。

ということで今週のテーマは「この業界じゃなかったら?」です。

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小学校のころの夢は漫画家でした。

もう物心ついたころから寝ても覚めても漫画をかじりつくように読み漁っている非凡な少年だったかと言えば全くそうでもなく、むしろほとんど漫画は読んでいません。
しかしどういう経緯かは全くわかりませんが、物心ついたときには何故か漫画を描くことが趣味になっていました。
で、同じく漫画を描くのが好きだった、25になっても冬はサンダルで外をうろつくような弟(いちおう社会人)と、机並べて漫画を描いては見せ合う...みたいなことをひたすら毎日行っていました。
そしてよく「そのネタ、俺のパクんなや!」「俺が最初じゃ」みたいな喧嘩をしておりました。

今の落書き好きの原点です。
出来上がったものはクラスの子に配ったくらいで、特に社会的なムーブメントへは発展しませんでした。


中学校~高校の頃は、寝ても覚めてもゲームばっかりしておりまして、その影響で打ち込みによる作曲に開眼しました。いわゆるDTMというやつです。
幼い頃からピアノの英才教育を受けて、10個音を鳴らせば上から下まで全部言いあてられる非凡な少年だったかといえば全くそうでもなく、まぁ素人ながらに楽しみながらやっていました。
で、その頃はゲームを作ることに興味を持っていた、西洋の武器マニアである弟の作品に楽曲提供をしたりして、コラボレーション気分を味わっていました。
ただ全く金もないので、オンボードのシンセでピコピコなるようなシロモノです。
玉石混合、3年くらいで200曲以上をこの世に生み落しました。

出来上がったものはバンド仲間に聞かせたくらいで、特に社会的なムーブメントへは発展しませんでした。


大学に入ってからは、寝ても覚めてもバンド生活でしたので、「いっちょジャズベーシストとして身を立ててみるか」なんて淡い想いを抱いたことがありました。
立身出世のため学生ながらに100万するウッドベースを購入し、夜な夜なスタジオにこもっては先人たちの演奏研究に余念のない非凡な青年だったかと言えば全くそうでもなく、自分がうまくなればなるほど、ますますプロとの差がはっきりと認識できてしまうため早々に諦めました。
今から考えるとジャズのjのことも全く分かっていないドアホだったので、よかったと思います。
※ちなみに全く歯を磨かない弟とはこの頃生活を異にしていた。


京都やら東京やらをライブで回ったり、CD出したりしたので、かなりミクロな社会的ムーブメントは起こったかもしれません。


で、その後webのデザイン(というかFlashとコーディング)に興味を持ってしまったがためにこの会社にいるのだが、今週のテーマ上、この業界がありませんということになっている。

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じゃあ俺が何をしているかというと、まぁほぼ間違いなくゲーム業界だと思います。
職種はディレクターかコンポーザー。

社会人になってふと「自分が何に一番感動するか」と考えることがあって、
今の答えは(ちょっとオタクっぽいけど)ゲーム音楽です。

ゲーム音楽を作曲するということは、実はデザインと一緒だと思っている。
「この場面でこういう曲を流したい」というゲームデザイナーの希望があって、
それに合うと思う曲を出してはボツられ、修正して出してはまたボツられ..
.
ほら、デザイナーがやってることと全く一緒です。
素材が音か絵か、という違いだけです。

そういう「デザイン性」がかっこいいなぁと思います。
容量制限やソフトの音色の限定性、場面に合うかどうかというオーダー...などなど、様々な制限を乗り越えて生き残った楽曲を聞いてたら、作曲者が何を考えてこの曲を作ったのかが若干分かりかけてきたりして、感動する。


ちょっとキモくなってきたのでこのへんで。


まぁ、いずれにせよ何かものを作る業界にいたい、ということです。
これは建築家の親父の血を引いているからでしょうな。


これ持ってます
一番好きなサントラ。もちろん発売日に買いました。


今週も長くなった。







26億円

自分が就職活動をしていた時は、「この会社はどんな人が集まっているんだ」ということがヒジョーに気になりました。
会社案内パンフレットに載っていた、社員さんの趣味とか学生時代の話とかは、食い入るように読んだものです。
今回はそれをやります。
テーマは「学生時代は何してたの」です。

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マンデーダフ屋は親のスネをかじりまくりながら、大学に4年、大学院に2年おりました。
親の前では建築学科でバリバリ勉学に励んだことになっているので、たまに親父に会えば「公共工事のダンピング問題がどうの」とか「コンストラクションマネジメントがこうの」とかいう、なけなしの知識で必死にその場を取り繕っていますが、6年間の実態はというと、95%はバンドで語れるくらいのいささか単純なものです。

ちなみになんで建築を志望したのかというと、「理系と文系の中間かな」と思ったからです。
この決断も相当悩みましたが、自分の過去を振り返ると、どうやらたいていは真ん中を選んでいるようです。なんとも器用貧乏な自分らしい選択ですね。

話がそれた。
要するに、学生時代は音楽一辺倒でした。
楽器代、CD代、スタジオ代、移動代、ライブ代、飲み会費...音楽にかけた金は軽く100万は超える。たぶん200万も超えとる。

あ、誤解のないように言っておくと、金髪でロン毛をブンブン振りまわしてギャーギャー叫んでいる、といった類のバンドではありません。いや、自分も若かったころはちょっとはそのケがあったけど...
じゃなくて、ファンクとかジャズとかフュージョンとか、そういう小粋でオッシャーレな音楽をやっておったわけです。小粋でオッシャーレな、ね。

で、ちょうど20歳のときにジャズとかいうその昔アメリカから来たコムズカシイ音楽に手を出してしまったがために、一時期ちょっとコムズカシイ人間になってしまいました(これでも大分ましになった方です)。
バンドメンバーと「ライブとは...」「ジャズとは...」みたいな気持ち悪い崇高な話題で夜を徹して語り合ったものです。

幸い、自分の周りにいた京大生はまぁ例外なくどうしようもないネクラで手よりも先に頭が動く、といった類の人種でしたので、そういった話題の相手には事欠きませんでした。
今振り返ると当時の自分が何に辿り着きたかったのかさっぱり分かりませんが、「考える」癖が身に付いたのはいいことだと思います。

まぁ、中高と水泳という個人競技をぬる~くやってきた自分にとっては、初めて団体競技というものに出会い、それなりに発見がありました。
中でもビッグバンド(ジャズのオーケストラみたいなもの)に入団して、いきなりバンドマスターとやらをやった1年は苦難だらけで鬱にもなってみたりしたもんですが、今思えば一番思い出に残っている経験です。

今でも別に「バリバリディレクション!」みたいなディレクターではありませんが、あの16人だか17人だかを何とかしてまとめた(まとめようとした)1年は、ディレクションの予行演習みたいなものだったに違いありません。

まぁ音楽やって損したことも腐るほどあるやろうけども
 ・ベース弾くのが好きすぎて、一人でいる時間が急激に増えた
 ・誰も「どこどこのエフェクターが」とか言う話題について来てくれない
やってよかったと思ってます。一生やるでしょう。
社会人生活にどれほど活かされているかは、知りません。



▼学生最後のライブの後。一番奥にある茶色い楽器弾いてました。@京都Blue Note

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で、サークルのチラシを作ったり、バンドが出したCD用のジャケットとか、ホームページとかを作っていたという趣味が高じて、今こういう会社にいるのだと思っています。

かつては本業だった音楽も、まだまだやってます。
 
はっきり言って、他に比べればプライベートの時間はかなり取りにくい業界です。
代わりに吐いて捨てるほど給料がもらえるかといえば、まぁそうでもない。
でも「趣味をやってる」と言えるほどの時間は人生にどうやらあるようです。



何十回と人前で演奏しておきながら、極度のアガリ症はいまだに治っていません。
精進あるのみ。